私は昭和の末期に埼玉県の川口市民病院で生まれた。
川口市民病院は現・西友(キャメリアタワー)のあたりに存在していた。
私は平成19年に川口駅を離れ別のエリアに引っ越しているので、
そこでリアルな川口駅周辺情報は途切れている。
今回は昔(平成初期ごろ~)の記憶を書き連ねていこうと思う。
幼児のころ【川口市立中央保育所時代】
川口駅から15分ほど歩いたところにある川口神社。
川口市で一番大きな神社である。
毎年12月15日には「おかめいち」が行われ、川口駅から大層賑わう。
川口神社を正面から見たときに、境内の一番左上(赤丸あたり)に存在。
そのころは境内の左上にも、敷地内への出入り口があったのだが今は閉鎖され
跡形もない。
私はこの「中央保育所」に通っていた。
園長は川口神社の神主さんだったと思う。
秋には銀杏拾いで、社務所の裏にある鍵が閉まっているエリアに入れてもらえたことを
今でも覚えている。(ありがとうございました)
中央保育園は私の代が最後で、その後閉園になったと思う。
山下先生、領家先生、中山先生、元気だろうか。その他の先生の名前は失念。
中央保育所は、入って右側に昼寝部屋(多分乳幼児の部屋?)があり、正面に職員室、左に行くと給食室や、フローリング貼りのような体育館のような大きな部屋があった。
あとはもう一つ、給食を食べる部屋もあった。
当時私は食が細く、白飯が大嫌いであったので、食事の時間は楽しいものでなく
正直ちょっと苦痛だったように思う。白飯はなぜ持参(なぜだろう)でケロッピの
丸いタッパーに入れて持って行っていた。
当時の私は幼稚園バスに強いあこがれがあり、見かけるたびに母親に
「いつになったら幼稚園バスに乗れるの?」と聞いていたのを覚えている。
幼い私は保育園と幼稚園の違いを分かっていなかったのだ。
世の中に「働く母」と「家にいる母」がいることも考えたことすらなかった。
ある日、母の知人に会った時に「いくつなの?」と聞かれ
「ねんしょー」と答えると、母が「ねんちゅーでしょ」という。
漢字がわからない私は「ねんしょー」「ねんちゅー」「ねんちょー」の意味も分からなかった。
今でいうポケモンの進化順「ピチュー」「ピカチュウ」「ライチュウ」みたいなもんだと思っていた。
年月日の概念もないため「4月になるとネンチューになる」と言われても、意味不明であった。
この時の記憶は今でも忘れない。ずいぶんと鮮明に覚えている。
幼児~小学生のころ【川口市立本町小学校時代】
川口駅周辺には「川口そごう」が平成初期にオープンした。
7階は「子供フロア」であり、大好きだった。ディズニーストアもあったように思う。
オープン当時、しゃべる樹がある子供向けレストランがあった。
「オーク」とかいう名前だったかな。
そのうち閉店してしまい、おもちゃ売り場の一部になり、かつて客席だったところは
ぬいぐるみなどのおもちゃで埋め尽くされていたように思う。
エレベーター前には「キッズエリア」があり
「ぺたぺた焼き」のお店があった。
何百円か払い(多分700円とかそれなり)絵具のようなものをつかって
イラストを塗り、ホットプレートで焼いて、水で冷やして出来上がり。
私は行くたびにやっていて、母親はその間に買い物をしていたとおもう。
できあがった作品は「お風呂場のタイルの壁」にペタッとはって展示していた。
あれ大好きだったなぁ・・・。
大きくなってからはおもちゃ売り場に興味すら示さず、同じフロアにあるCDショップ(シンセイドウだっけ?)には良くいっていた。
あとは9階?あたりの催事(北海道展とか)も好きだったし、ファミレスもよくいった。本屋も好きだったな。
ファミレスは、ある時から閉鎖され中はおそらく倉庫にされていた。
結構広いファミレスだったから、物置にはとてもよかっただろう。
「川の流れる名店食堂街、10階でございます」
これはエレベーターの自動音声。
オープン当初はエレベーターガールがいたのだが覚えている人はいるだろうか。
今でも覚えているのは
「駅へのお出口、三階でございます」だけ。
10階にあった「ビッグシェフ」とてもお世話になりました。
甘味の「梅園」もありました。
ちなみに私、子供のころ「川」に落水しています・・・。
母が急いで洋服を家まで取りに行ったらしいです。
あれ何歳だったんだろう。
川口駅周辺で気になっていた事を書いてみる
・バビ男(ばびお)っていたよね。
おもちゃのバンビの目の前に住んでいた人。
・なんかこの辺に昔児童館なかった?記憶違い?
・昔この地図の近くに「パンプキン」っていうコンビニあったよね。
・エッチな大人の映画館「オークラ劇場」もあった。
いつも帰り道、みんな横目でちらちらポスターを見てたな。
・本町4丁目の「植竹輪店」で自転車買ってた。
そこしか自転車屋なかったし。あの当時でもおじちゃん高齢でした。
・かかりつけは「石森医院」小児科・内科。懐かしいな。在家先生だったかな。
・八百屋は「大山八百屋」と本町4丁目の植竹輪店の並びの「星野八百屋」。
よく買いにいかされた。
・大山八百屋の横に、酒屋があって。そこにいつも売ってる「ポンジュース」の瓶にあこがれていた。高級だから買ってもらえなかった。
書き出すときりがないし語り合いたい!
もっともっと気になることや、当時の振り返りをしたいがきりがない。
もしこれをみていて、当時のことを知っている埼玉県川口市民がいたら
ぜひコメント欄で語り合いたいと思う!
本当に!もしいたらコメントください。